kml:
私は長いこと大学院に居たんだけれど、博士後期になると、半分くらいの人が、後の進路を決めないまま、ひっそりといなくなってしまう。
その原因を考えたときに見逃せない要素のひとつが、拒絶されることへの忌避感情なんじゃないかと思っている。
院生は研究室内で自分の研究を提案する。駄目出し(拒絶)される。落ち込む。がんばる。また駄目出しされる。それを繰り返す。
研究室内でOKが出たら、今度は外の学会誌に自分の研究を投稿する。リジェクト(拒絶)される。落ち込む。またがんばる。それを繰り返す。
私の周囲では、院生同士で「つらいねー」とか言い合うことが少なかった。たぶん感情的な受容を求めて声をかけて拒否されるのがいやなのだ。「愚痴とかウザいでしょ」と言われたこともある。
それじゃしょっちゅういろんな人をつかまえて愚痴の絨毯爆撃を食らわせている私はすごくウザいんだなと思った。
ウザい人が嫌いな彼らは、耐えきれなくなると、ただ消えてゆく。
これが私の考える典型的な大学院ドロップアウトのシナリオだ。
彼らが拒絶されるリスクをおかしてでもサポートを得ていれば、と思う。
進路を決めずに消えたって得なことは何もない。それが判断できなくなるほど気持ちが疲れてしまう前に、誰かに助けを求めてほしかった。どうして自粛するんだ。断られるのがそんなに嫌か。結果的に無職になっちゃうより、嫌なのか。誰かに助けてもらえば元気になって続けられたかもしれないし、辞めるにしたって仕事を紹介してもらうことができるのに。
拒絶されたくない人々の理想は、「声をかけて断られないという強者」ではなくて、「受動的であっても望ましい人間関係を得ることのできる強者」だ。
断られる恐れが低そうな人でも「断られたくないから自分からは誘わない」と言う。魅力的であるからこそ、声をかけるという負担を相手側に求めることができる、ということだと思う。
人物としての強い魅力とほのめかしの技術があれば、誰かがやって来て、何らかの関係を提案してくれる(いいなあ)。あるいは家族などの手持ちのリソースでうまくやってゆける人もいるかもしれない。
でもほとんどの人はたぶんそうじゃない。
だからみんなもっとウザい人になろうよ、と思う。私だって断られるのは嫌だ。「は?何おまえ」みたいな目で見られるのはつらい。何度経験しても慣れない。でもそれを引き受けてほしい。自滅してでも拒絶される可能性を排除する心性のせいでいろんな人が黙っていなくなってしまうなんて、すごくいやだ。